8. 『ESCAPE FROM MANCHURIA の出版に際して』by ポール丸山

(草の根通信65号、2010年10月掲載)

ポール丸山:元CIE-US代表

CIE-USの元代表であるポール丸山さんが、このほど「Escape from Manchuria」(満州からの脱出)という本を出版されました。丸山さんのお父様が他の2人とともに、満州に取り残された170万人の日本人たちを救ったノンフィクションです。満州からの引揚げは、彼らの努力がなければ実現するものではありませんでした。丸山さんから、この出版に関して寄稿していただきました。

 

 

日本の無条件降伏により第二次世界大戦が終了したのは1945年8月15日でした。その一週間前の8月8日に突然ソ連が日本に対して宣戦を布告し、8月9日の夜明けまでには150万以上のソ連兵が満州に侵入。日本関東軍の抵抗が全く無いといえる状況で満州全体を完全に占領しました。

当時満州には(兵士を除いて)170万の日本人が住んでいました。満州は、日本軍にとってあらゆる資源の供給地。多くの日本人は、「お国のため」と祖国に促され、家族と共に満州に移り、土地を耕し、日本の鉄鋼工場などで働き、冬は厳寒ではありましたが、それでも比較的平和な毎日を過ごしていました。しかし、ソ連軍占領以降、満州に住む日本人の生活は急激に悪化し、毎日が危険でつらい状態に変わりました。寒さ、飢え、病気の他、ソ連兵や日本人への報復をねらった暴力集団の手により、毎日2,500人の日本人が死んで行きました。

そのような中、無名の3人の有志(丸山邦雄、新補八郎、武蔵正道)が満州からの脱出を計画しました。彼らは1946年2月22日、密かに大連から天津に行き、中国からの引揚げに関わっていたアメリカ軍の船舶に便乗して、日本に到着しました。3人は日本でも多くの苦労を経験しますが、最後にはマッカーサー元帥本人と面会し、その結果1946年5月の終わりに満州南部のコロ島という

小さな半島からの日本人引揚げが開始され、100万人が無事帰国することができました。

 

3人の必死の努力により、1946年12月にはソ連軍占領下の大連からも引揚げが可能となり、1948年4月に最後の引揚げ船が佐世保に入港。これで、満州引揚げ事業はほぼ終了したのでした。

1946 年 3 月 17 日、丸山邦雄の NHK 全国放送で初めて日本国民は満州の悲惨な実情を知ることとなった
1946 年 3 月 17 日、丸山邦雄の NHK 全国放送で初めて日本国民は満州の悲惨な実情を知ることとなった

3有志の活躍は日本でもほとんど知られていません。勿論、アメリカでは全く知られていません。その一番の理由は、3人が完全に秘密裡に満州から脱出したからです。そこで、父や武蔵氏の本を基に、アメリカ国内の資料館などで調査を行い、さらに満州に関する他の書籍や資料などを翻訳し、やっと3氏の活躍を描いた本(英語)を完成させました。もし、私の著書「Escape from Manchuria」により3有志の活

躍を少しでも世界に伝えることが出来れば、これほど嬉しいことはありません。