(草の根通信115号、2023年6月掲載)
谷村鯛夢:出版プロデューサー、俳人、エッセイスト、中浜万次郎国際協会監事
今春からのNHK‘'朝ドラ”「らんまん」、高知県佐川町出身の世界的植物学者・牧野富太郎をモデルとしたこの国民的ドラマには「まるで大河ドラマのような朝ドラ」といった高い評価が寄せられているようです。富太郎は幕末の文久2年(1862年)生まれですから、幼少期は当然「時代劇」になりますが、まずは史実を巧みに生かした脚本、ドラマ作りが高評価につながっているように思えます。
さて、こうした「モデルありの朝ドラ」が始まると、関連出版物が出るのも恒例ですが、ただ、そうした中の「偉人伝」や「モデル小説」は、私には今一つピンときませんでした。プロの編集者として、それも高知県出身の編集者として、といったほうがよいかもしれませんが、簡単に言えば、「偉人伝」や「モデル小説」には何か「土佐出身の人物」の臭いがしない、 土佐的要素の濃度が薄いよなあ、という思いがありました。私の富太郎という人の基本的なキャラクター理解は、講談社学術文庫に入っている「牧野富太郎 自叙伝」。これを読んだときの第一印象が「このおんちゃん、かなりのいごっそうやな」ということ。その片意地とも思える一途さ、 最終的にはユーモラスにさえ見えるその意固地。奇矯ともいえるその意気軒高ぶり。そのまま読めば、典型的な変人奇人かいわゆる学者馬鹿と捉える人もいるかもしれません。しかし、そこに「士佐バイアス」をかけて見ると、まさに、「土佐のいごっそう」がそこにいる、ということが県出身者には分かる。
そうした私の思いの中で急浮上したのが土佐史談会のレジェンド谷是さんの講演「人間・牧野富太郎」でした。土佐史談会は歴史ある研究団体ですし、谷さんは高知新聞OBで郷土史家としても重鎮。なによりも講演の名手で、その土佐弁交じりの名調子は有名です。この谷さんの講演を一冊にまとめて世に問いたい、というのが今回の出版の第一歩でした。
谷さんは富太郎のことを、まず「好き一途に生きたいごっそう」と言います。この「いごっそう」に代表される土佐人キャラクターについては、高知好きが高じて高知に移住して10年になる映画監督安藤桃子さんの面白い指摘があります。高知が「酒の国」であることを前提に、桃子さんは「高知は泥酔文化の国。高知人は飲めない人もウーロン茶で泥酔する」と明言。そして、「高知は日本ではない」というのが、ロンドン、N.Y.に学んだこのオ媛の高知観。
「泥酔」は、徹底的に飲む酒文化だけを言っているのではなく、「いごっそう」の偏屈ぶりも含めて、何かに「泥酔」したかのようにのめり込む、夢中になる気質を見事に捉えた表現。
そうか、酒造家の息子ながら酒が飲めない富太郎は、植物に「泥酔」したのか…。
谷さんは富太郎についてもう一つ、「遅れてきた志土」だとも言います。富太郎が生まれた文久2年、坂本龍馬が富太郎の町佐川を通って「脱藩の道」を走り抜けました。先に、今回の朝ドラの脚本は史実をうまく生かしている、と書きましたが、例えば朝ドラにあった「竜馬が五歳の富太郎を肩車する」シーンは、いわゆる史実ではありません。しかし、富太郎五歳の慶応3年は、龍馬が長崎、土佐、京都などを駈け廻って「大政奉還」を進めた年ですから、その途上、佐川で少年富太郎に出会って励ましても、おかしくはない…。
さらに視聴者を驚かせたのが板垣退助が立ちあげた「自由民権運動」の最中、青年期に入ろうかという富太郎が高知でジョン万次郎(中浜万次郎)に会うというシーン。万次郎が富太郎に「自由」について語る…。私はこの朝ドラの中で万次郎が富太郎に会うということは聞いていましたが、それは東京でのことだろう、と思っていましたから、万次郎が高知に登場したのにはびっくり。しかし、二人の年譜を重ねてみると、明治10年前後、故郷の母の見舞いに再三高知に帰る万次郞と高知での自由民権運動の勃興期が重なるではありませんか。いやいや、脚本家の想像力はすごい。
龍馬や板垣はじめ、岩崎弥太郎、山内容堂など幕末土佐のオールスターズのような名前が、「ジョン万次郞資料館」の《ジョン万次郞に影響を受けた人々》に列記されています。みな、土佐に帰国した万次郞の話を聞いたり、「漂巽紀畧」を読んだりして、わくわくしながら世界に目を開いた人たち。今回の朝ドラの脚本家も万次郎に会った富太郎に「漂巽紀畧を読んでわくわくしました」と言わせましたから、「世界のマキノ」も《万次郎の影響を受けた人々》のひとりだと認識したのでしよう。
さらに富太郎の東大植物学教室への出入りを許可してくれた主任教教授の矢田部亮吉が、アメリカのコーネル大学に留学する前に中浜万次郎に英語を教わっていたことも判明。ここにも富太郎関連で《万次郎に影響を受けた人》がいたわけです。
最後に余談を一つ。朝ドラにジョン万次郎が登場したその週に、講談社の学術文庫担当者から「『漂巽紀畧・全現代語訳』の8刷が決定。一万部突破、おめでとうございます」との連絡がありました。業界では一万部突破はヒット作と認識されていますので、執筆者としてだけでなく、企画プロデュースをした者としても感慨ひとしお。研究者だけでなく、普通の方々がこの稀代の書物のタイトルを「ひょうそんきりやく」と普通に読めるようになるよう、こちらも切に願っているところです。