(草の根通信98号、2019年3月掲載)
塚本宏: 医学博士、元日本保険医学会会長、NPO法人 中浜万次郎国際協会会員
神戸と言えば誰しも国際性豊かな港湾都市を思い浮かべるでしょう。150年前には郡びた漁村に過ぎなかった神戸村が、今日のように大発展を遂げるのに大きく貢献したのは、摂津三田藩・最後の藩主九鬼隆義を筆頭とする家臣団でした。「鳥羽水軍」の末裔ながら、三田で雌伏せざるを得なかった九鬼氏が明治になって海へ「里帰り」を果したという因縁話になります。
その一人が、小寺泰次郎(1836-1904)です。元々、郷掛(年貢徴収役)という下級武士でしたが、経理に明るく商オに長け、先見性に優れた彼は隆義に抜擢され、白洲退蔵とともに志摩三商会の設立に参加、繁盛させました。その後、独立し地租改正に乗じて、外航船の着岸に有利な点に着目して兵庫港より東側の士地、ご存知の元町、三宮周辺の土地買い占めに走ります。海外に向けて飛躍する神戸の将来を見据えた不動産投機は見事に的中して一躍、大富豪の仲間入りしました。
がめついだけの吝嗇な商人と思いきや、彼は近代都市計画に欠かせない「道路の新設・拡幅」に手腕を発揮し、自己所有地を公道として寄付するなどインフラ整備に貢献しています。また、私心のない「慈善家」としても有名で学校をはじめ多くの公共事業に多額の寄付を行っています(家蘊に言い残したそうです)。まさに今日的な「フィランソロピー」の先駆者でした。一方、一家の生活は謹厳実直、質素を旨とし、子供たちへの教育も非常に熱心で見事な閏閥(その一端は後述)を形成したのです。
泰次郎の長男、小寺謙吉(1877-1949)もまた神戸にとって忘れてはならない恩人の一人です。父の建築した広壮な小寺本邸(現在の「相楽園」)で生を享け、何不自由ない生活を送って小事に拘泥しない器落な性格の持ち主に成長します。
その学歴も半端ではありません。1897年に米国へ留学し、エール、コロンビア、ジョンズ・ホプキンスの各大学で法律・政治学を学び、学位を取得したのち、さらに欧州へ渡りハイデルベルク、ジュネーブ両大学でも国際法学の勉強を続けます。ちょうど、日露戦争の勃発で急違呼び戻されますが、外固語に堪能な彼は諸外国の従軍記者相手のスポークスマンを務めて兵役を終えています。
1904年に31歳の最年少記録で兵庫県選出の衆議院議員に当選します。以後、6期連続当選を果たす国際政治に精通した「学者代議士」の誕生でした。しかし、政治家としての謙吉の人生は、決して順風満帆ではなかったのです。短絡して語るとすれば、欧米の社会を実体験して自由と民主主義の洗礼を受けながら、大正デモクラシーの波にも乗れず、政党政治による軍閥内閣にも同調できないまま、1930年、37年の 2回、連続落選をして中央政界から一旦は身を引いてしまいます。
しかし、戦後になって70歳過ぎの謙吉は、1947年に新たな選挙制度のもと、初代の「公選」神戸市長として見事にカムバックを遂げ、戦災後の神戸の復興に全力で取り組んだのです。残念ながら任期半ばに急逝されたので、僅か2年半の短期間でしたが、彼の尽力のおかげで、市の管理による国際港の建設や、神戸博覧会、高速度鉄道会社などが次々に実現(いずれも没後でしたが)するのです。そのほか、三田学園の創立(初代校長)、早稲田大学への「小寺文庫」寄贈(3万6千冊を越す「洋書」)など、教育者としての謙吉の面目躍如たるものがあります。
この小寺家と中浜家とが姻戚関係になる経緯を簡単に述べてみましょう(「中浜東一郎日記」から)。
土佐山内藩出身で東京帝大・法科大学長を務めた土方寧(1859-1939)の妻・常子(実は泰次郎の次女)が、実弟又吉(泰次郎の四男)のために仲人役を務め、東京・青山在住の代議士・謙吉と東一郎の麹町宅を頻繁に往来して、当時、学習院女学校在学中のオ媛・綾子(東一郎の三女)と東京帝大・工科大学校卒の工学士又吉との婚約を成立させ、又吉の恩師・斯波忠三郎・帝大教授を媒酌人として目出度く結婚式を挙げます(1915年)。
以後、お互いに実父を尊敬していた、東一郎と謙吉は大変ウマがあい、非常に親密な親戚付き合いが東一郎の晩年まで長く続きます。先孝の法事に参列、盆暮れの贈答は勿論、東京、神戸への相互訪問が、当時としては驚くほど頻繁に行われていました。
最後に、又吉・綾子の次女・小寺敏子(1920-2015)は、漢方鍼灸師として国際的にも活躍し(数か国語に堪能)、全国初の鍼灸師会が運営する兵庫鍼灸専門学院の開校に大きく貢献しました。彼女がこの道に進む道程は極めてユニークです。まず漢文読解力に優れ、「黄帝内経素問·霊枢」(古方漢方)の現代にも通じる知恵に気づきます。しかし古典の理論だけに飽き足らず、臨床の重要性から大阪行岡学園・高等鍼灸マッサージ学校に学び、40歳になって「鍼灸師免許」を取得されます。さらに神戸大学・解剖学教室(武田創教授)で、「経穴の解剖学的解析」も研究されるなど晩学とはいえ、学術研究に基づいた幅広い著述・講演活動により鍼灸界にとって掛替えない人物となります。
万次郎、泰次郎の血筋として、神戸の恩人をもう一人紹介させて頂きました。