25.  ジョン万次郎直系五代目としての役割 by 中濱 京

(草の根通信91号、2017年6月掲載)

中濱 京: ジョン万次郞直系五代目子孫、CIE評議員

CIE以外の万次郎子孫としての仕事

国際草の根交流センター(CIE)が皆様のご尽力により2017年現在26年間、草の根交流サミット大会を継続し、その参加人数45,000名超え(※)という実績に驚いています。財団を通じて出逢った全ての方々は私の宝物です。さて、ここでは、CIE以外でのジョン万次郎直系五代目としての活動について少しご紹介します。

(※数字には、ホストファミリー、ボランティア、関連イベント参加者、寄付者等々を含みます)

 

増えるメディアの取材

日米で万次郎とホイットフィールド船長の話が広がりつつある中で、講演依頼、テレビ・雑誌取材が増えてきています。その要因を考えると、最近歴史番組自体が、テレビのCS·BSを含めて増えたのも一因と思いますが、一番の要囚は、四代目の父・博が、テレビのクイズ番組、バラエティー番組、週刊誌に万次郎を出すのをあまり賛成していなかったことがあります。一方、五代目の私は万次郎を広い層に知っていただく為、事前に企画書は頂きますが、できる限り様々な分野でご協力することにしています。

 

先日はNHK番組「知恵泉(ちえいず)」に出演の為、NHK東京放送センターに行きました。居酒屋が背景でしたので、着物を持参し、NHKの専任の着付け師に依頼しました。時代劇を含め数えきれない人数に着付けされており5分で着付け可能という早業師です。メイクと髪も終え、撮影スタジオヘ。テレビで見たセットが目の前にあるのは不思議な感じでした。カメラ4台で、リハーサル無しだった為とても緊張しました。近田アナウンサーの進行に従い、ビビる大木さん、ミャンマーで活躍されている医師の吉本秀人先生と2時間程話しました。 

 

NHK番組「知恵泉(ちえいず)」
NHK番組「知恵泉(ちえいず)」

実は、NHK東京放送センターには大河ドラマ「龍馬伝」の放送中にも行ったことがあります。それは、ドラマに出てくる歴史上の人物の子孫達9名と共に、福山雅治さんの撮影現場を視察する許可を得られた為です。着物姿の福山さんと写真が撮れた時は、最高に嬉しかったことが思い浮かびます。

 

最近ではBS日テレ『片岡愛之助解明!歴史捜査』、TBSのバラエティー番組『7時にあいましょう』に出演しました。CIE財団のアトランタ大会風景を撮影希望で、米国で取材を受けました。大抵、テレビ撮影の時間はとてつもなく長い時間をかけます。実際の放映はいつも、その何分の一程度です。伝えたい事が削除されたり、長時間資料を撮影していたにも拘らず、一枚も使用されなかったりと、ディレクターの企画次第で、予想と全く違う仕上がりもあります。番組関係で芸能人の方にお会いする機会もあります。

TV取材の様子
TV取材の様子

雑誌、新聞の取材では、我が家に取材班が来る、電話での取材を受ける、文章をメールで送付するパターンがあります。「納期はいつですか?」と尋ねると「今夜中です!」というような大変急な出版社の要求もあります。近年では「FLASH」「FRIDAY」など想定外のやや刺激的な雑誌に掲載されたり、また「週刊現代」「週刊朝日」にも掲載されました。

 

これらの万次郎関連対応は、会社勤務をしていると難しい点が多々あります。プライベートの予定変更や、休暇を取得しなければならない場合もあります。E-mailの件数、郵便物の数も多く、一件ずつを一人で捌くのに相当時間がかかり、PCのメール対応だけで深夜に及ぶ日もあります。しかし、ありがたいことに先祖のお陰で、このような多くの方との出逢いがあり人の輪が大きくなりました。CIEの田口俊明理事は、万次郎は人と人を結びつける「不思議な磁力」を持っていると言われましたが、本当にその磁力は今も働いていることを実感します。

 

各地での講演活動

万次郎の講演は、北海道から沖縄まで、子どもから大人まで様々な年代の為、内容も時間も色々なバージョンを準備作成しています数年前に小学生に万次郎の話をして紙芝居を作る夏の講習に講師として参加したことがあります。その時子ども達から出た質問は「万次郎はパンチパーマでしたか?」「日本に帰った時はジーパン姿でいいですか?」等で想像を大きく膨らませて紙芝居を一生懸命に描いている姿が新鮮でした。各グループの紙芝居を一つに繋げ合わせ、皆で読みあった事は夏休みのほのぼのした思い出です。

小学校にて
小学校にて

また、私の米国留学時代の親友が住む熊本県の山鹿市という地方の高校で講演した時は、どれほど興味をもって聞いてくれるか心配でしたが、万次郎の名前を初めて聞く生徒たちが目を輝かせて話を間いてくれて、校長先生が大志を抱くことの大切さを熱く語られました。中嶋憲正山鹿市長達との懇談の際には、熊本の万次郎研究家の方が、等身大の万次郎の垂れ幕まで準備してくださっていた事にとても感動しました。このように今まで万次郎とご縁の薄かった地方で青少年達に万次郎の生き方を紹介し、津々浦々裾野を広げて継承することも大切な役目だと実感しました。

熊本の高校にて
熊本の高校にて

「沖縄ジョン万次郎会」主催の講演では、沖縄の民謡を子どもと大人が歌い踊り、とても賑やかで楽しく独特の三線と伝統ある踊りの素晴らしさに魅了されます。万次郎が米国から日本に帰った時、沖縄経由でよかったと、一緒に踊りの輪に入りながら思います。沖縄の陽気な習慣が、どれだけ万次郎を和ませたことでしょう。鎖国で凝り固まっている日本への上陸は、米国から帰国した万次郎にとって、想像を超える苦労だったろうと沖縄を訪れる度に感じます。

 

「劇団四季」によるファミリーミュージカル『ジョン万次郎の夢』が京都劇場で上演された時は、舞台でご挨拶させていただきました。物語がコンパクトにまとめられており、子どもだけではなく大人も楽しめます。特に楽曲がよく、軽やかな音楽に乗せた歌詞から、万次郎の勇気や強い気持ちが伝わります。

劇団「四季」の方々と
劇団「四季」の方々と

高知では、「高知県坂本龍馬記念館」主催の『風になった龍馬ー龍馬・海舟・万次郎ー同じ夢に結ばれて』と題するイベントが3年連続で開催されました。坂本龍馬・勝海舟・中濱万次郎の3家子孫によるシンポジウムで子孫同士親しくなり、特別出演されたソフトバンクの孫正義社長と打上げの宴会で同席させたいただいたことも強く印象に残っています。このイベントを発端に、毎年年末には東京で子孫同士の忘年会が開催されています。

孫正義さんと
孫正義さんと

全国の万次郎関連団体といっしょに

高知市の「土佐ジョン万会」主催では、『ジョン万次郎英語弁論大会』が開催されており、審査員をしています。中学生、高校生の質が年々高くなってきており、他の審査員と共に、詳細なチェックシートで採点するのはとても神経を使います。弁論大会の特別賞には、米国へご招待という大きなご褒美があるのです!今年も8月に開催が予定されておりますが、将来的には、高校野球のように全国に広げ、決勝大会を高知で開催という提案も出ています。目下、「土佐ジョン万会」の森薫事務局長と共に万次郎の歌を作成中です。どんな曲になりますか、乞うご期待!

『ジョン万次郎英語弁論大会』の参加者と審査員など
『ジョン万次郎英語弁論大会』の参加者と審査員など

東京の「中濱万次郎会」は、年に6回ユニークな研究例会を開催されています。万次郎命日11月12日には雑司ヶ谷霊園での「万次郎忌」を開催し、万次郎終焉の地の銀座や、万次郎が通った浅草の鰻屋の「やっこ」で記念講演を開催しています。楽しい企画満載で今年は11月に「ジョン万サミットin東京」として万次郎関係各組織から関係者が東京に集結する予定です。

 

「咸臨丸子孫の会」は、万延元年に咸臨丸で米国に渡った子孫の集まりで、毎年総会が開かれています。2010年は遣米使節団「咸臨丸」がサンフランシスコに渡って150周年目の節目の年でサンフランシスコのコルマ市の日本人共同墓地で、咸臨丸で渡米して亡くなった追悼式及び顕彰記念碑除幕式典に参加しました。

 

一般財団法人「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」協力の会の活動は、聖路加国際病院名誉院長の現役医師の日野原重明先生(105歳)が、フェアヘイブンのホイットフィールド船長の朽ちかけた家に対し、歴史的建造物は保存したいという熱いお気持ちでプロジェクトが作られ、募金活動から始まり皆様からのご支援・ご寄付により、記念館として蘇り、フェアヘイブンに寄贈されました。歴史の足跡を保存することで目的を果たした為、8年間に及んだ「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」協力の会は去年無事に閉会されました。あらためて日野原先生へ心から感謝の気持ちでいっぱいです。記念館の日米の友好のシンボルとしての役割は大きく、私も微力ながら引き続きご協力したいと考えています。

 

万次郎の故郷の土佐清水市主催の「土佐清水ジョン万祭り」も毎回参加しています。イベント内容も工夫され、米国からフェアヘイブン関係者、大阪神戸米国総領事もご参加され、年々盛大になってきています。万次郎を「大河ドラマ」に推奨する運動では、尾崎正直高知県知事をはじめ多くの方々が推進して下さっています。この活動が大きなうねりとなって将来実現することを願っています。

土佐清水市のジョン万祭りにて
土佐清水市のジョン万祭りにて

子孫としての使命

幸いにも私は職歴として富士通株式会社(現在在職中)、中部電力株式会社に大変お世話なり、その中で先輩や同僚、お客様に鍛えられながら、社会人としての考え方・表現力等を身に着けることができ大変感謝しています。ただ、私には「ジョン万次郎直系五代目」としての役目もあり、皆様方の更なるご支援、ご指導を頂きながら、日本はもとより海外への情報発信と交流、特に若者たちに希望と勇気を持って頂ける大きな役割を持つこと、これら全てが私の使命であると決心しています。万次郎は過去の人ではなく、今こそ、人と人との助け合いや、日米交流の大切さを私達に問いかけ、現在も生きていることを活動を通じて実感しています。今後、どのようなかたちで「ジョン万次郎の磁力の輪」が広がっていくか楽しみにしつつ、五代目の役割を精一杯果たして参ります。