3.万次郞夜話第4回 “白鯨"の渡る海で by 川澄哲夫

(草の根通信62号、2009年10月掲載)

川澄哲夫:慶応義塾大学名誉教授、ニューベッドフォード捕鯨博物館 学術顧問、CIE評議員

鯨捕りたちは計り知れない危険に取り巻かれていた。台風、暗礁などの自然の脅威だけでなく、この仕事に伴う危険が数え

切れないほどあった。その上、抹香鯨の中には人間に敵意を抱いて襲いかかってくる鯨(ugly whale)さえいた。

 

1842年9月12日、ジョン・ハヲラン号は日本漁場を離れ、東に進路をとった。そして北緯32度10分、東経165度20分に達した

ところで、抹香鯨の群れを発見、ボートを下ろした。早速、二等航海士サウスワースのボートが、その一頭に銛を打ち込んだが、

鯨が海中に潜り、銛網はどんどん繰り出されていった。そこへ一等航海士ウィンスローのボートが助けに入ったものの、抹香鯨

の巨大な顎でボートは噛み砕かれてしまった。ライマン・ホームズは、翌13日『航海日誌』に、「今度の航海では仕留めた鯨の中

で、これほど手強い相手はいなかった。鯨がボートに襲いかかり、戦いを挑んできた」と記した。

 

こうした戦闘的な抹香鯨(fighting whales)に打ち砕かれた捕鯨ボート、船長をはじめとして殺された鯨捕りは数え切れな

いほどある。 

また、怒り狂った鯨が、ボートではもの足らず、本船に襲いかかり、沈めてしまうことさえある。ナンタケットのエセックス号はその典型的な例である。エセックス号は、ペルーの沖合い、南緯0度40分、西経119度のところで、抹香鯨の頭突きをくらって、ひとたまりもなく沈んでしまう。1820年11月20日のことであった。

 

エセックス号を沈めたのはモカ・ディック(Mocha Dick)であると云う人もいる。そのディックが渡る海で、万次郎もハーマン・メルヴィルも抹香鯨を追いかけていた。のちにメルヴィルは、エセックス号をモデルにし、モカ・ディックをモービィ・ディック(Moby Dick)と名を改めて、『白鯨』を書く。

モカ・ディックは、年取った並外れて巨大な雄の抹香鯨である。体一面羊毛のように白かった(he was white as wool!)。ディックは、彼に攻撃を仕掛けてくるボートを、洋上に躍り上がって威嚇したあと、彼の巨大な尾(flukes)で木っ端微塵に粉砕し、強力な顎(Jaws)で噛み潰してしまうのである。 

ディックがいつ頃からか姿を現すようになったのかについては、意見はまちまちである。

1810年頃、ペルーのモカ島の沖合で、ディックに挑んだ捕鯨船があった。以来、ディックは数知れぬ鯨の敵との戦いに勝利を収めてきた。ディックの“名声”は増すばかりである。遂には、鯨捕りたちが、あの広い太平洋で出逢う度に、「モカ・ディック」を見たか」(Any news from Mocha Dick?)という挨拶を交わすようにまでなっていた。

 

ジョン・ハヲラン号がホーン岬を回り、ペルーのカヤオ(モカ島はこの近く)から、遠海に出て、マーケサス、ソシエテ、サモア、キングズミル各諸島沖の漁場で、抹香鯨を追いかけたあと、小笠原諸島近海を通り、鳥島で万次郎たちを救助する間に、ディック

は、三度姿を現して、イギリスとロシアの捕鯨船のボート5隻を粉砕し、6人を殺害している。

 

そして遂に、そのモカ・ディックが日本漁場で大活劇を演ずる。1842年9月末、ジョン・ハヲラン号が抹香鯨の挑戦を受け、手古

摺った直後である。ディックが、漂流中の、彼には無害な筈の日本の材木船を攻撃したことに端を発した。巨大な顎で船尾に噛

みつき、船板をもぎとってしまう。船が水浸しになったが、辛うじて浮かんでいた。たまたま近くにいた3隻の捕鯨船-スコットランド、イギリス、アメリカ-が協力して、難敵に当たることになった。それぞれが2隻ずつ、全部で6隻のボートを下ろし、ディックに迫った。まずアメリカのボートがディックに銛を打ち込んだ。ディックはしばらく死んだふりをしていた。が、突然、物凄いスピードで、スコットランドのボートに突進して行き、舟上に躍り上がった。それから向きを変えると、巨大な顎で、イギリスのボートを咥え、草刈り鎌で一薙するように振り回し、水面に躍り上がって、二人の鯨捕りを噛み潰した。次の瞬間には、海に落ちた鯨捕りたちの間を泳ぎ回り、巨大な尾で二人を叩き殺してしまった。そしてディックはもう一度材木船に戻り、尾の一打ちで止めを刺し、何処ともなく泳ぎ去った。ボートの鯨捕りたちは全員尻尾を巻いて本船に引き揚げていた。

 

1859年8月、モカ・ディックは、ブラジル沖で、スエーデンの捕鯨船によって、あえない最後を遂げる。すでに老令のため、瀕死の

状態にあったといわれている。ディックは、半世紀にわたる人間との戦いで、捕鯨ボートを14隻を粉砕、30余命の鯨捕りを殺し、3隻の捕鯨船を完膚なきまでに破壊した。彼の死体には、19本の銛が突きささり、全長110フィート、胴まわり57、顎は25フィートあった。ちなみにジョン・ハヲラン号は全長111フィートである。