31.  続:海を渡った「漂巽紀畧(ひょうそんきりゃく)」  by 北代淳二

(草の根通信102号、2020年3月掲載)

北代淳二: CIE評議員、万次郞研究家、TBSインターナショナル元社長

フィラデルフィアのローゼンバック博物館/図書館内部
フィラデルフィアのローゼンバック博物館/図書館内部

「幻の書」といわれて長く所在が分からなかった『漂巽紀畧(ひょうそんきりゃく)』がアメリカ人により「発見」され、海を渡った。日本の古書展からフィラデルフィアの小さな博物館の書庫に収蔵されるまで、この古書がたどった軌跡は、その中に描かれたジョン万次郎の物語に劣らぬほど劇的だった。編集者の河田小龍を通じて、坂本龍馬の目を世界に開かせることにも役立ったと言われる『漂巽紀畧』。その足取りとアメリカでの受容の様子を紹介する。

 

 1912(明治45)年、初夏。東京両国橋近くの美術倶楽部で開かれていた古書展示即売会で、スチュワート・キューリンというアメリカ人が熱心に本をあさっていた。彼は著名な文化人類学者で、ニューヨークにあるブルックリン博物館の学芸員だった。その彼の目がふと手に取った袋とじの古書の1ページに吸い寄せられた。「これはニューイングランドの風景ではないか!」。

 

1852(嘉永5)年に、土佐に帰ったジョン万たち漂流民の体験を、河田小龍が4巻の書にまとめた『漂巽紀畧』。藩主山内容堂に献じられたあと、なぜか所在不明となり「幻の書」となっていた。その『漂巽紀暑』が、60年を経て初めて「発見」された瞬間だった。その風景画に記されている「ボーシトン府馬頭之図」の文字は日本語の読めないキューリンには分からなかったが、キューリンは当たっていた。1846年、一人前の捕鯨船員になったジョン万は、フランクリン号に乗り組み太平洋へと向かう。船が途中ボストンに立ち寄った時の記述が『漂巽紀暑』の中にあり、風景画は確かにその挿絵の一つ、ボストン埠頭の図だった。

 

『漂巽紀署』を購入したキューリンは、帰国間際の12月になって、地理学者・志賀重昴(しがしげたか)を介し、ジョン万の長男・中浜東一郎に会った。東一郎の日記によると、12月12日、帝国ホテルに宿泊中のキューリンを訪ね、6カ月前に手に入れたという『漂巽紀暑』に初めて対面した。東一郎は書中のジョン万の署名を認めて、「私の父の手です。正しくこれは神のお働きだ」と述べたという。

 

東一郎はキューリンの許しを得てこの4巻の書を借り受け、家族知人を動員して3日がかりで全巻を筆写した。東一郎はキューリンが見つけた『漂巽紀畧』を原本と思ったようだが、明らかにそうではなかった。扉は正しく『漂巽紀畧』となっているが、袋とじの表題は4巻とも『漂選記畧』と、「巽」が「選」、「紀」が「記」と間違えられている。東一郎が日記に『漂選記畧』と記したのも書き間違いだろう。キューリンが見つけた4巻は、中身は『漂巽紀畧』の完全古写本とみられ、キューリン本と呼ばれる。東一郎が筆写したものは中浜本として、『漂選記畧』という間違った表題のまま中浜家に伝わっている。そして、1920(大正9)年に中浜本からさらに写本が作られ、ジョン万の第二の故郷フェアヘーブンヘ送られた。

翌年、『漂巽紀畧』は、アメリカヘ帰国したキューリンと共にニューヨークヘ渡った。

 

 

ローゼンバック博物館に収められている『漂巽紀畧』
ローゼンバック博物館に収められている『漂巽紀畧』

キューリンはフィラデルフィア出身の文化人類学者で、トランプやチェスなど、各民族特有のゲームの比較研究が専門分野で、日本の双六や羽根つきについての研究論文もある。米本土はもとより、アジアと東欧の各国をくまなく回って集めた研究資料と収蔵品は、キューリン・コレクションとして有名になった。

 

ところが彼が東京で手に入れた『漂巽紀畧』は、ブルックリン博物館の収蔵品になっていない。東一郎日記が記すように、恐らくキューリンはジョン万の伝記を書くか、『漂巽紀畧』の英訳出版を考えて、手元に置いていたのであろう。そのいずれも実現することなく、1929年、キューリンは71歳で亡くなった。

 

キューリンの死の直後、ブルックリン博物館は、遺品の資料や書籍を末亡人から購入した。その中に『漂巽紀畧』4巻も含まれていたが、そのまま放置され、結局8年後にまた未亡人に返された。その後1948年にキューリン未亡人は『漂巽紀畧』をある希少本のコレクターに売却し、さらにこれを、1966年にフィラデルフィアのローゼンバック博物館が買い入れて、現在に至っている。

ローゼンバック博物館/図書館の内部
ローゼンバック博物館/図書館の内部

海を渡った『漂巽紀畧』がアメリカで一般公開されたのはこの100年で3回だけだ [2012年4月現在]。最初は1976年、建国200年を祝うワシントンで。2回目はローゼンバック博物館・図書館が99年に自ら催した『漂巽紀畧』特別展。そして3回目は 2003年、ロサンゼルスの全米日系人博物館で開かれた特別展である。

 

ローゼンバック博物館から数ブロックのところに、1776年、建国の父と呼ばれるワシントンやジェファーソンらが、人間は生まれながらにして平等だと、英植民地からの独立を高らかに宣言した歴史的な場所がある。ジョン万が自ら体験した若きアメリカの民主主義を日本へ初めて伝えた『漂巽紀畧』。そのアメリカ永住の地として、フィラデルフィアは誠にふさわしいと言えるだろう。

 

※事務局補足

1912年に日本を離れてから101年の歳月を経て、2013年にキューリン本『漂巽紀畧』は再度太平洋を渡り、故郷高知の坂本龍馬記念館で公開された。