(草の根通信88号、2016年9月掲載)
北代淳二: CIE評議員、ジョン万次郎研究家
毎年5月はアメリカの「アジア・太平洋系市民の伝統月間」だ。日系や中国系など、アジアと太平洋地域にルーツをもつ市民のアメリカ社会に対する貢献を記念するもので、一ヶ月にわたって全米各地でさまざまな記念行事が行われる。
移民の国アメリカには、このほかにもアフリカ系、中南米系など、先祖の出身地別に多くの「記念月間」がある。例えばアフリカ系は、毎年2月を「ブラック・ヒストリー月間」としている。奴隷解放宣言をしたリンカーン大統領と解放運動指導者だったフレドリック・ダグラスが同じ2月生まれだったのでこの月が選ばれたという。創設は古く、1926年にさかのぼる。またヒスパニックとかラティノと呼ばれて社会的影孵力が大きくなっている中南米系市民の記念月間は、毎年9月15日から10月15日と、月をまたいだ一ヶ月だ。コスタリカなど中米5カ国の独立記念日が9月15日で、またコロンブスのアメリカ大陸発見が1492年10月15日とされていることからこのような期間が選ばれたものだ。創設は1968年だ。
いずれの「記念月間」も米連邦議会により議決され、大統領が布告するアメリカの国家行事である。それではアジア・太平洋系市民の歴史貢献を記念する月間は、どのような理由で5月と決まったのだろうか。
結論を先に言えば、これにはジョン万次郎が大きくかかわっている。発端は1977年。民主党の日系下院議員ノーマン・ミネタらが、5月の初めの一週間をアジア・太平洋系市民週間と指定する法案を提出した。理由は(1) 1843年5月7日に最初の日本人移民がアメリカに来たこと。(2)1869年5月10日に、中国人移民の多大の労働による米大陸横断鉄道が完成したこと。これに対して上院のダニエル・イノウエやスパーク・マツナガらの有力日系議員らが賛同し、上下両院合同決議で毎年 5月4日からの一週間を「アジア・太平洋系市民の伝統週間」とすることが決まった。そして1978年に、当時のカーター大統領が議会の決議に署名し、アジア・太平洋地域系市民の貢献を記念する5月の1週間が、初めて国の公式行事となった。
さらに1990年、ジョージ・ブッシュ大統領の時代に、記念行事の期間が一週間から5月の一ヶ月に延長され、Asian Pacific American Heritage Monthとして現在に至っている。 5月を選ぶ第一の理由としてあげられた1843年5月7日は、日本人移民が初めてアメリカに来た日というだけで、移民の名も到着地名も挙げられていない。しかし史実として明らかなのは、この日は紛れもなく、万次郎が捕鯨船ジョンハウランド号でマサチューセッツ州ニューベッドフォードに到着し、ホイットフィールド船長に連れられてアメリカ合衆国に第一歩を印した日である。
万次郎を移民(immigrant)と呼ぶことに異を唱えることも出来る。移民を「職を求めて外国に移住する者」という意味に取れば、万次郎の場合には当てはまらない。第一に1843(天保14)年には日本はまだ鎖国中であり、海外への「移民」などは論外の時代なのだ。
「アジア・太平洋系市民の伝統月間」を原語の「Asian Pacific American Heritage Month」でネット検索するとおびただしい数の記事や情報が得られる。その殆どが発端になった法案の文言を引き写しにしたのか、日本人のアメリカ移民が1843年に始まったとし、一人ではなく複数の移民だったとしているものもある。残念ながら日本についての歴史認識はまだまだ浅いようだ。
しかし万次郎の名前が具体的にあげられていないにしても、1843年5月7日に上陸という万次郎の明らかな足跡にちなんで、アジア・太平洋系アメリカ市民の伝統と歴史貢献を賞揚する月間が、国によって選ばれた意味は大きい。
今年も5月いっぱいアメリカ各地で、アジア太平洋地域の多様性を受け継ぐ市民たちのさまざまな行事が行われた。今年は大統領選挙で移民の問題が大きな争点になっていることもあり、彼らの多くの関心は現在であり過去ではないかもしれない。だがせめてこの意味深い年中行事の発端に、万次郎という日本の若者がいたことをもっと知ってほしいものである。
※この寄稿は2016年5月23日付けの高知新聞に掲載された記事に一部加筆したものです。